東日本大震災から5年、当時を振り返る

あれから5年経つんですね。

私は当時、現在勤めているのとは別の医療機関で勤務していました。

このブログでは素性を伏せて書いておりますが、この記事を書くのに最低限、関東圏に居住しており現在勤めているのも、以前勤めていた病院も関東圏だということだけ記しておきます。

地震が発生したときのことは今でもハッキリと覚えています。

当時、院長が15:00からの外来診療に出る前の30分ほど、ほぼ毎日二人で打ち合わせをする時間になっていました。

その日も、いつも通り忙しくあれこれと打ち合わせをしている中揺れが始まり、私はそのうちおさまるだろうと、資料の説明を続けました。

しかし、院長が「これは大きい、普通じゃない…」と言って、二人で顔を見合わせたのをハッキリと覚えています。

院内を一通り回って気がついた被害は、壁に掛けていた絵画が落ちていたこと、エレベータが止まって動かなくなったことくらい。
幸にも、落ちてきた画でケガをした人もいなく、エレベータも空だったことがわかり、たいした被害はありませんでした。

(数日後に、外壁に一部破損が見つかりましたが)

たいへんだったのは、その後の輪番停電の対応。

我々の地域は、輪番停電の指定になり、外来の予約のやりくりや、職員の勤務調整など、まったく予定が立たない日々が続き、精神的にも肉体的に疲労しました。

そして、事務長として、減収が経営に与える影響を推測し、対応策を考えることに追われました。


今日、どうしても綴っておきたいことがあります。

それは、医療従事者の使命感。

あの時ほど、病院が単なる労働力の集まりではないことを痛感した日はありません。

医療以外の職に就く人ももちろんいろいろな思いを抱いていると思いますが、やはり医療という職に就く人の志は尊いものがあると思いました。

全ての職員が、自分の家庭もたいへんだろうに、なんとか出勤して職務を全うする姿…、身内ながら心を打たれたものです。


現在の私の仕事は、データの分析が大きなウエイトをしめます。

データ分析の仕事は、あらゆる現象を論理的に解明することに夢中になってしまうことがあります。
いままで幸運にもそれで現場の職員の心を傷つけたことはありません(と思います)が、今後もデータだけに偏ることのないデータ分析を心がけたいと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

GoogleのAutoDraw、ピクトグラム作成に使えそう

旧字体や外字は使用できません

患者さんの視線とサインの高さ