情報は「多ければ良い」ということではない

本日も、サイン改修のお話です。

「情報をそぎ落とす」ことは、本当にたいへんな作業でした。

情報量とデザイン性は反比例

「情報が多くなると、デザイン性が損なわれる」、それは感覚的にわかっていました。

身の回りにあるあらゆるものがそうです。
壁一面にメニューの短冊が貼ってある定食屋さん。
シールの台紙とチラシで埋め尽くされた冷蔵庫。
アイコンでビッチリになったPCのデスクトップ。
例えを挙げたらキリがありませんが、たいていの場合、情報を詰め込みすぎると「ダサく」なっていきます。

多すぎるとどれも伝わらない

情報の詰め込み過ぎは、デザインの問題だけでなく、サインの「機能」としても足を引っ張ることになります。

例えば掲示板。今まさに何か伝えたいことがあっても、そこにもともと多くの掲示物があって、掲示物が「増えた」ことに気づかない。
広い場所に1枚の掲示物がポツリとあったらそれだけで「気づく」。
多くの景物があったら気づく前に「読む」「探す」が必要になり、それだけで一つの作業になり、「メンドウ」という心理が働きます。
ダイレクトメールでフォルダがいっぱいになっていると、メールを読むこと自体が嫌になり、やがてフォルダを空けなくなる。

誘導のためのサインも、場所によってふさわしい情報量があります。

担当者のサガ

とはいえ、今回のサイン改修を任せられている「担当者(ワタシ)」としては、情報を「削る」作業はヒヤヒヤものです。

情報が多過ぎても「ダサい」「見づらい」で済みますが、情報がない・少ない場合は、「なぜ書いていないのか」と怒られそうで(誰から?)、迷ったらとりあえず「書いておいた方が良い」と考えてしまいます。

外部のスタッフやあるいはデザイナーなら潔く切り捨てられるかもし得ませんが、これが、担当者の、あるいは事務方のメンタリティです。

合理的に考える

最初は、企画会社の方から「これ要りますか?」、「これカットして良いですか?」と聞かれるたびに、「いや~、ちょっと…」、「関係者に聞いてみないと…」と、先方を困らせていました。

しかし、いろいろ話しているうちに、情報を整理する要領がわかってきました。

それは「合理性」です。この場所にこの情報が「なぜ必要なのか」を聞かれ、それに答えるために情報を調査し整理していく中で、気がついてきました。

最終的残った「必要な情報」をいかに見やすくするかは「センス」によるところが大きいと思いますが、その手前、何が必要なのかを見極めるのは、至って合理的な作業であることに気づいてからは、はかどるようになりました。

近く、具体的な例をご紹介できればと思います。







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